茶志内炭山郵便局を見にちょっと寄ってみましたが、取り壊されて、素通り。この地区は炭鉱があった時よりかなり街並みが変わってしまってます。
出典:札幌美容形成外科
お借りして、貼らせていただきます。
昭和38年の航空図を見ても大きな建物は茶志内炭鉱駅以外は目立った建物はなく坑口近くまで軌道のようなものが見られます。高速道路ができたせいか、茶志内炭山神社やずり山も容易にアクセスできません。炭住街はなくなりましたが、街並みは残っております。
昭和15年に建てられた慰霊碑。建て替えられて新しくなってます。墓地の手前に立派に建ってます。
高速をさらに奥へ行くと、ずり山は砂利置き場となっておりました。あまり稼働していないらしく誰もいないので、三井美唄炭坑跡の探査のあとだったので、休憩してました。
地形図にはしっかりと道路が記載されてましたが、それらしい痕跡はなかったので、ちょっと奥に入ってみました。
上の方にコンクリートが見えたので廻って見ましたら、隧道でした。
さらに奥に行くと坑口が。
横から見たところ。
郵便局を見に来ただけでしたので、事前調査もしてませんので、次の探査に向かいます。