恵庭鉱山~ひっそりとたたずむ製錬所へ

 恵庭金山はあまり資料が残っておらず学術資料や鉱業の文献にも数行書かれているのみです。北海道大学の浅田政広氏が「北海道金鉱山史研究」に詳しくまとめられてます。この本は入手が困難ですが、札幌市の図書館で電子化されておりますので、ご参考に。

経緯

 創業当時は、鉱石は札幌まで石山経由で運び、札幌駅から秋田県小坂製錬所まで送られてましたが、国道453号線もなく、相当な山道を通っていたようでした、のちに、有力な金鉱として、日本鉱業参入後は、支笏湖経由に輸送が改められました。本格操業は、製錬所が完成し、昭和14年から18年までで、戦争の悪化とともに、国の政策でへ閉山となりました。
 戦後は、鉱業権が次々と移り、調査されてましたが、再開には至っておりません。現在は光竜鉱山と同じ野田玉川鉱発株式会社が取得してますが、休山ということになってます。
 

漁岳林道

 札幌から国道453号から、オコタンペ湖分岐の手前の林道から入ります。この林道は、冬シーズンの人気雪山登山、漁岳へのルートとなっております。途中、製錬所の横を通りますので、コンクリートの遺構は見たことがある人は多いと思います。
 下見に前年、漁岳へ登ってますので、製錬所の位置は把握してますが、林道からやや奥にありますので、探索だけでは発見は困難とされてました。
 倒木はそのままですし、漁川への分岐も道がふさがってますので、森林組合も車では入ってないと思われます。
 
林道の横の支流は林道復旧工事の跡作られたコンクリートの橋で左側へ移ります。
目印

大きく開けた場所の右手に精錬所へ続く廃道があります。そして、沢に沿って坑口まで、運搬用の道があったようですが、一部のみが残っており、ほとんどが崩壊しております。

製錬所へ

大きな石垣が連なってたようですが、かなり崩壊が進んでます。

石垣からは、笹薮がひどいので、また、廃道にもどるとレンガの遺構。

上部に製錬所が見えてきましたが、積雪で足場がよくわからず、歩くのも容易ではありませんが、なんとか近づきました。

コンクリートはいまだ健在で、風雪に耐え、この先も幾年もここに立たずむのでしょうか。

製錬所の右側を遠巻きにのぼり上部にたどり着きました。

雪でどこが陥没しているかも、危険なので、上部からの様子見だけにします。

 製錬所の周囲はは広い場所がありますが、ここに通じる道は上部も含めて、何本かあるようですがすべて、分からないくらい廃道になってお、林道も付け替えられており、場所を特定するのが困難とされてたのでしょう。

製錬所の推定位置

※自分の探査の記録です。案内図ではありませんので、危険な場所につき、当場所を訪れる方は、十分な備えが必要です。けがや事故の恐れがあります。当方には責任の所在はありません。

坑口編はこちらへ。

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